メープルツリーの思い出

HSP、毒母、ステップファミリー経験者、出産、育児、VBACなど

生き別れた父に

私が一歳頃、両親は離婚した。

母は詳しくは何も話してはくれなかったので、何故離婚したかもよくは知らない。

ただ、父が精神的に病んでいたこと、暴力をふるわれた事、私を殺人犯の娘にするくらいなら、父親のいない子にした方が良いと、そう思って離婚したと母は言った。

あぁ、私はそんなひどい人の血が入っているんだ。

そんな風に思って生きてきてしまった。

写真は一つも残っていない。

もちろん記憶もない。

それでも、ずっと父の事は気になって仕方なかった。

21歳の時、母と喧嘩した時に初めて父の事を教えて欲しいと母への手紙に書いた。

初めて知った名前、母よりも9つも歳上だという事、私が生まれてくるのを楽しみにしてくれていたと言うことなどを教えてもらった。

 

一度、叔父に本当の父親はどんな人だったのかと聞いたことがある。

私の事、探したりしてないのかな?って。

 

叔父は言った。

そんな風に思う人じゃないと。

母との結婚よりお金を取ろうとした事もある、そんな人だったと。

詳しくは分からなくて、それ以上聞けなかった。

ショックだった。

心のどこかで、本当の父親が私の事を気にかけていて欲しい、探していて欲しい、会いたいと思っていて欲しいと、そう思っていたのだと思う。

 

それでもやっぱり、父に会いたかった。

会ってみたかった。

自分のルーツを知りたかった。

二年前、夫の父から実子なら戸籍を遡って、父親の住所を調べられるということを聞いた私は、早速市役所で手続きをした。

父親の住所は、思いの外すぐにわかった。

母と結婚してた時のマンションに、まだ住んでいたからだ。

それは今でもよく帰っている母の実家のすぐ近くだった。

 

家の近くの郵便局で、一生懸命、便箋と封筒を選んだ。父に良く思われたかった。

和紙でできた上品なレターセットを購入し、手紙を書いた。

 

お父さんとは書けなかったから、あなた、と書いた。

会いたいと。

あえて私はあなたの娘です、とは書かなかった。

ただ、最後に自分の名前を書いた。

本当の父親なら、名前で気が付いて欲しかった。

連絡先を書いて、ドキドキしながら投函した。

 

毎日毎日、ポストをチェックした。

それから何日経っても父からの返信が来る事はなかった。

それが父親の答えだった。

 

いつか、お金に余裕ができたら、探偵にでもお願いして、父の事を調べるかもしれない。

 

生き別れた娘の事など、どうでもいいのだろうか。

それでもまだ心のどこかで、父親を信じたい自分がいるから不思議だ。

 

そして不思議といえば、父親のマンションの部屋番号と、今私の住んでいる部屋番号が同じだったという事。

 

 

 

 

このブログを読んでくださる方へ

簡単に自己紹介をしようと思います。

私は1歳位の頃に両親が離婚し、父と生き別れました。その後、母の実家で、曾祖母、祖父、祖母、叔父、母と暮らし、小4の時に母が再婚。

新しい場所で生きていく事に。

小、中、高、大と進学し、就職。

26歳で結婚し、27歳で第一子を帝王切開で出産、30歳で第二子を経膣分娩で出産。

 

最近、自分がHSPである事が判明。

今までの生きづらさの原因がわかり、安心する。

 

母とはうまくいかず、長年悩まされてきたが、母が病気になり、穏やかになり、今では母を許せるように。

 

少々波乱万丈に生きてきた不器用な私の経験談をゆる〜く更新していきたいと思っています。

 

ステップファミリーHSP、毒母、うつ彼、夫婦仲、VBAC 、子育て、など

 

ほんの少しでも、このブログが誰かの心を癒す事ができれば、幸いです。

 

メープルツリー

 

第一子帝王切開 パート6

産後の入院生活も落ち着いてきた頃、助産師さんに言われた。

「先生、丁寧に縫ってくれてたんだよ。普通はホチキスで縫合するんだけど、メープルツリーさんの場合溶ける糸で縫合してくれたよ。」

 

出産前、急に決まった帝王切開に納得ができずに、泣いていた私に、先生はvbacについて教えてくれた。

VBAC(ブイバック)とは、帝王切開経験後の経膣分娩の事だ。

経膣分娩が成功した場合をvbac、経膣分娩に挑戦することをTOLAC(トーラック)という。

 

日本では、基本的に一度帝王切開を経験すると、次の出産でも帝王切開になる病院がほとんどだ。

TOLACにはリスクが伴うからである。

TOLACのリスクについては、またどこかで。

また、TOLACをするには一定の条件がある。

 

・前回の帝王切開の理由が骨盤位などで、骨盤の大きさや産道の問題ではないということ

・既往帝王切開が1回であるということ

・前回の帝王切開が通常の子宮下部横切開で、術後の経過が良好であること

・既往帝王切開の他に経腟分娩のリスクがないこと

帝王切開以外の子宮切開創がないこと

・本人が強く希望し、家族もそのリスクを十分に理解していること

・緊急帝王切開および子宮破裂に対する緊急手術が可能であること

これらの条件に全て当てはまってはじめて、VBACを検討することができる。

 

先生は、私の想いを聞いて、けして勧めているわけではないけれど、そういう方法もあるよと教えてくれた。

 

だから、帝王切開の時、もしも次、私がTOLACを希望してもいいように、できる限りのことはしてくれたようだった。

 

先生が教えてくれた、vbacの事は、それからの私の希望となった。

もうすぐ退院となる頃、先生の診察があった。

帝王切開の理由となったヘルペスの疑いの細胞診の結果が出たのだ。

 

結果は陰性。

 

私の帝王切開は、無意味だった。

 

先生は、それじゃあ納得できないだろうからと血液検査も見てくれたらしい。

ヘルペスの抗体があるから、かかったことはあるはずで、陽性は出なかったけど、可能性はあったかもって言われた。

でも私にはその事は、よくわからなくて、ただただ、もう起きてしまったことは、変えられないし、元気に生まれてきてくれた娘の世話に何とかして気持ちを持っていくしかなかった。

やるせなさそうな先生に、

「でも先生、丁寧に縫ってくれたんでしょっ?」って言ったら、

「私にはそうすることくらいしかできなかったから。」

そう言ってくれた。

先生も、決断するの、辛かったよね。

 

悔しかった。

悲しかった。

まだ傷も癒えていなかった。

私は次の出産に、このやるせない想いを託すしか、なかった。

 

無事に生まれたんだから、産み方なんてどうだっていいじゃない。

 

そう思う人もいると思う。

 

でもね、産み方にこだわってしまう人だっているよ。

 

どうしても経膣分娩が経験したいって思うことって、そんなに悪いことなのかな?

 

だって、本能なのか、何なのか自分でもわからないけど、理由なんてないし、リスクが高い事もわかってるよ。

それでも何故かそんなふうに思ってしまう。

 

その気持ちは、簡単じゃない。

理屈じゃない。

 

3年後、私は執念で、vbacを成功させた。

その事も、また書こうと思う。

 

けして、私もvbacを勧めているわけではありません。

TOLACをしたいのであれば、きちんとリスクを受け止めた上で、自分で決めてください。

 

ただ私は、同じ想いを抱えているママの気持ちを受け止めてあげたい。

私の経験談が、少しでも誰かの役にたてたらと。

 

 

 

 

 

第一子帝王切開 PART5

産後二日目の朝を迎えた。

足のマッサージャーが外される。

朝食が出た。

重湯、ジュース、スープ。

流動食なので、全て水分だったが、とにかく飲み物が飲める事が嬉しかった。

 

美味しい。

 

一気に飲み干す。

 

飲み物が飲みたい時に飲める事は幸せな事だったのだと、日常に感謝する。

 

助産師さんから歩いてみるように言われ、恐る恐る起き上がろうとするが、痛みへの恐怖でなかなか思うようにできない。

傷が裂けてしまうのではないかと不安で仕方がなかった。ベッドのスイッチを使って最大限身体を起こしてから、点滴の棒を支えにして少しずつ歩く。

確か、導尿カテーテルを取ってもらいに、トイレまで行ったのだったろうか。

記憶は曖昧。

身体を曲げて、ほんの少しずつしか歩けなかった事は覚えている。

 

導尿を抜く時はズルズルズルという感覚。

痛みはそんなに無かったが、これもまた恐怖でしかなかった。

 

背中の麻酔は手術時は2種類していて、産後も一つは繋がったままになっている。

傷の痛みや後陣痛のある時に首から下げられている麻酔のスイッチをカチッと入れると、冷たい感覚が背骨を流れて、痛みがマシになる。

私が第一子を出産した2014年より、二年ほど前にこの麻酔ができたらしいので、ありがたかった。

 

3時間おきに、助産師さんが赤ちゃんを連れてきてくれたのだが、あんなに子ども好きで、子どもの仕事につき、赤ちゃんを夢見ていた私が、赤ちゃんを可愛いと思えなかったのである。

初めての授乳については、また別の記事にしたいと思う。

母子別室だったし、産んだ実感のようなものも感じられず、

どこか、他人事で、心の中はまだ帝王切開への後悔や悲しみでいっぱいで、今思えば多分、心の余裕が無かったのだと思う。

 

とても幸せな事のはずなのに、それを感じ切れない。

そんな自分にどんどん自信も無くなって、入院中もよく泣いていた。

 

 

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第一子帝王切開 PART4

赤ちゃんがお腹から出たあと、私はお腹を縫われていたが、赤ちゃんは計測やら健康診断やらで連れて行かれた。

赤ちゃんが出てから、元々聞かされていた時間より少々長く縫われていたので、夫と母は心配していたらしい。

手術室を出ると、廊下で担架に乗せられたまま夫と母と赤ちゃんと助産師さんが写真を撮ってくれた。

そのまま病室に戻る。

まだ麻酔が効いていて痛みは感じなかった。

赤ちゃんは36週5日。2568グラム。少々小さめだったので一日だけ保育器に入ることになった。

背中に通された麻酔のせいか、眠かったが、ウトウトすれば誰かが来たり、母に話しかけられたり、助産師さんが切ったばかりのお腹をギューッと押しに来るので眠れなかった。

子宮の戻りを良くするのに必要なことらしかったけど、やめてほしい。

でも辛いのはここからだった。

まず、朝から何も飲んでないので、喉が乾いて仕方がない。急に病院に行って帝王切開になったので、病院に着いた時点で飲み物はやめておくように言われていた。

空腹は我慢できても喉の乾きは我慢し難い。

お願いだから、氷でもいいから、喉の乾きを癒やしたい。

そして足に付けられたエコノミークラス症候群予防のマッサージャーが辛い。中途半端な力で揉まれ続けて、寝返りも打てない。

気持ち悪い。

元々靴下が苦手なのに、弾性靴下をはいてなければならない。

喉の乾き、空腹、足の不快感、お腹のギューッ、これを一晩絶えるのがホントに辛くて、もう二度と帝王切開なんかしたくないと思った。

ただ、不思議と、麻酔が切れたあとも、動かなければ傷の痛みはそれ程痛くなかった。

助産師さんが撮ってくれた赤ちゃんの写真を励みに一晩耐えた。

 

 

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第一子 帝王切開 PART3

手術室へは自分で歩いていく。

行きたくないのに、自ら向かう。

手術台に横になるとものすごいスピードで準備が始まる。

何も抵抗できない。

これを『まな板の上の鯉』と言うのだろう。

 

背骨?脊椎?に麻酔をする為膝を抱えてまるまるように言われるが、お腹が邪魔で苦しい。

それに、背骨に注射なんて、恐怖でしかなかった。

初めに皮膚麻酔をして、その後奥の方に針を指すのだが、痛かった。

中にはそんなに痛くなかった人もいるようだが、私は痛かった。

2度も刺され、グイグイと押されるように奥に入れられる感覚は不快でしかない。

麻酔の効きを確かめるために保冷剤を身体に当てられる。

下半身は一切冷たさを感じない。

触られてる感覚はあった。

そのまま導尿カテーテルを入れられたが、何もわからなかった。

助産師さんが、クラシックとJPOPどっちがいい?と聞くので、JPOPで、と答えた。

 

始めますよーと声がかかり、

「メス」

と先生。

先生、怖いです。聞こえてます。

怖さなのか、麻酔のせいなのか、寒くて身体が震える。

覚えてないが、確か電気毛布を入れてくれたような気がする。

ずっと担当の助産師さんが手を握っていてくれた。

「大丈夫だよ。ついてるからね。」

涙もずっと止まらなかったけど、安心できた。

何度かお腹をギューッと抑えられているような感覚やあちこち引っ張られているような感覚があった後、

「キーッ!キーッ!」

あれ?泣いてる?

「赤ちゃん出ますよー!」

「おめでとうございます!」

赤ちゃんってオギャーって泣くんじゃないんだ?

計測や診断のあとタオルに巻かれて連れて来られた女の子はガッツ石松(笑)

まつ毛は3本、ただしめっちゃ長い。

腕枕でおいてもらった赤ん坊。

ホッとして、また泣いた。

「キーッキーッ!」

と泣き続ける娘に先生は縫合しながら笑う。

「元気だねー!取り出す前からもう泣いてたもんね(笑)」

フライングで泣いていた娘、元気で産まれてくれて、ありがとう。

 

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第一子 帝王切開 PART2

その日の14時に手術が決まった。

嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

心はそう叫んでるのに、次から次へと手術の準備が始まる。

手術の怖いリスクが書いてある紙に承諾のサインをしなければならない。

すごくすごくゆっくり名前を書いていく。

読むのはやめた。

怖いだけだから。

承諾のサインって言うけど、結局断ることなんか、できないくせに。

そもそも点滴や採血がものすごく苦手なタイプ。

自分のお腹を切られるなんて、子宮を切られるなんて。

怖い。怖すぎる。

 

心電図をとったり、レントゲンを撮ったり、

剃毛されたり、点滴を始めたり、ひっきりなしに病室に色んな人が入ってきて、説明をされたり検査をされたりした。

食べ物と飲み物も取らないように言われた。

帝王切開は何が起こるかわからないから、必ず付き添いを呼んでくださいと言われて夫に電話をすると、帰れそうにないと言われた。

 

そんなこと言われても。

助産師さんに電話を代わって説得してもらう。

何とかするとのことで、帰ってきてくれた。

後にこの事で夫婦喧嘩になった事は、またいつか書きます。

 

落ち込んでいた私に、助産師さんが、

帝王切開も立派なお産だよ。大丈夫。」

そう言ってくれた。

私は泣いた。泣いて泣いて泣いた。

すごくありがたかったし、感謝もしてる。でもね、そんなことわかってる。

わかってるけど、心がついていかないの。

 

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