メープルツリーの思い出

HSP、毒母、ステップファミリー経験者、出産、育児、VBACなど

VBACパート5

その後起きて夕飯を食べた。

何となく3分おきくらいにトイレ(大きい方)に行きたくなる感じはあるが、全然痛くはなく、前駆陣痛かなとあまり気にしていなかった。

 

すると突然何かが漏れた感覚がした。

もしかしたらとトイレに駆け込むと、下着が濡れていた。

噂どおり、生臭いにおいがしたので、これは破水だと気が付いた。

すぐに夜用のナプキンを当てがい、病院に電話をすると、来てくださいと言われたので、夫と病院に向かった。

 

病院に向かう車の中で、少しずつ痛みが強くなっていた。

間隔はバラバラで、はっきり何分おきというのはよくわからなかった。

 

病院に着いて、破水かどうか調べたいからナプキンを変えるように言われる。

 

トイレに入ると、あまりの腰の痛さに、その場から動けなくなってしまった。

 

しばらくトイレに座ってから立ち上がり、分娩室に案内され、モニターを装着する。

確実に陣痛が来ているとのこと。

そのまましばらく放置され、強くなっていく陣痛に耐えた。

ただまだ我慢できる程度ではあった。

 

強い陣痛が時々来て吐きそうになるも、助産師さんの準備が追いついておらず、まだ吐かないで!と言われるが、そんなの無理だし。。。

胃液だけ吐いて口が汚れたからティッシュをください!と言っても、ごめん、ない!待ってて!と言われる。

 

ティッシュくらい用意しておいて欲しかったし、口が汚れてるのが不快でたまらない。

 

助産師さんはどこかにいってしまって帰ってこないので、夫が近くのトイレからトイレットペーパーを持ってきて口を拭いてくれた。

VBACパート4

お腹が大きくなってくると、医師から子宮壁が薄いと言われるようになった。

1ミリ程度しかない。

僕だったら許可しないと思う、と。

ただ出産するのは東京の病院なので、そちらの先生の判断にまかすと言われる。

 

切迫早産体質で、子宮口も開いてきてしまっていた為、予定より少し早く東京へ。

娘からアデノウィルスももらってしまい、体調もなかなか良くならず、切迫早産もあって、転院してすぐに入院となった。

 

切迫早産の事は、またいつか、かけたら良いなと思います。

 

36週、無事に退院した。

気がかりだった子宮壁の薄さについては、医師からは特に何も言われなかったのである。

 

38週と3日、その日は夫の仕事が休みで、東京に来てくれていたので、陣痛よ、来い!来い!と願いながら昼寝をしていた。するとお腹にズンとした痛みを感じた。

18時ごろだった。

もしかして陣痛?

そう思ったものの痛みはすぐに引いて何ともない。

その頃頻繁に前駆陣痛が起きていたので、また前駆陣痛だと思った。

VBACパート3

日赤医療センターで出産したいと思ったものの、広尾まではなかなかの距離があるので、受け入れてもらえるかどうか、電話をかけた。

結果は、1時間以内で来られる人じゃないと受け入れはできないとのこと。

そりゃそうだ😅

私は悩みに悩んだ。

しばらく考えた末に、一つの光を見出した。

 

東京におばあちゃんの家があることに気が付いた。

私にとってそこは、母が離婚した後住んでいた実家のような場所だったし、母から逃げるように、しばらくそこで暮らしたこともある。

今でも時々帰っている。

 

私は叔母に電話をして、自分の想いを伝えた。

どうしても経膣分娩をしてみたいこと。

産前しばらくお世話になりたいこと。

 

その後、叔母が叔父と祖母と話してくれて、良いよ!と言ってくれた。

 

救われるような想いがした。

 

叔父と叔母、祖母には本当に感謝している。

 

本来海浜病院は里帰り出産をやっていなかったが、急に里帰り出産をすることになったと伝えると、出産前の転院を認めてくれた。

 

 

VBACパート2

そして、もう一つ、海浜病院で、不安な点がありました。

それは手術室が分娩室と別の棟にあったこと。

万が一、子宮破裂を起こしてしまったら、15分以内の緊急帝王切開が必要になります。

15分を超えると母子共に命の危険が高まります。

別の棟に手術室があることは、その点でかなりの不安要素となりました。

 

私はとことん調べました。安全に、立ち会いもできて、VBACができる病院はないのか。

 

残念ながら千葉にはありませんでした。

 

ただ、東京の広尾にある日赤医療センターだけが、私の理想の病院だったのです。

 

日赤医療センターは、帝王切開でもTOLACでも、基本的には立ち会いができます。もちろん、何か問題がある時はダメなこともあるかとは思います。

 

ダブルセットアップ、もし何か起こっても、すぐに帝王切開に切り替えられる環境が整っていること。分娩室の隣が手術室です。

 

VBACを基本方針としていること。

(一度の帝王切開なら、問題がなければ基本的にTOLACを実施)

 

VBACをしたいと医師に伝えると、

何でそんなにしたいの?

やめておいた方がいい。

そう言われることがほとんどです。

医師として、当然ですよね。

 

でもこのどうしようもない気持ちを理解してもらえずに、そこで出産を迎えるよりも、当たり前のように受け入れてくれる病院程、心強いものはないように感じました。

 

日赤医療センターだったら、否定されないかもしれない。

 

私は何としてもここで出産したいと強く思ったのです。

 

※VBACに関する情報は2017年のものですので、現在とは異なる場合があります。

 

 

 

VBAC パート1

2014年、長女を出産してから3年後、妊活をして一年弱かかり、待望の第二子を妊娠した。

妊娠前からずっと、何としてもVBACがしたいと思っていた私は、ネットで調べ、家の近くでVBAC(TOLAC)をやっている病院を調べた。

私は千葉県に住んでいるので、ヒットしたのは海浜病院と千葉大附属病院だった。

どうしても夫に立ち会って欲しかったので、その二つの病院に電話をして、VBACをやっているかどうか、その場合立ち会いができるかを聞いた。

千葉大附属病院は立ち会いは不可、なんだか電話越しの感じもあまり良くはなかった。

海浜病院は立ち会いは、その時の状況によると言われ、感じも良かったので、個人の産院から海浜病院に紹介状を書いてもらった。

 

上の子を産んだ病院でカルテを用意してもらい、初期段階の条件はクリアした。

条件とは

子宮を横切りであること

帝王切開が、一回であること

帝王切開の理由が普通分娩に支障がないこと

などである。

 

その後、海浜病院で普通に診察を受けていたのだが、ある時立ち会いってできますか?と聞くと、VBACの場合やってないと言われてしまった。

 

普通の感覚なら、立ち会いなんて良いじゃないかと思いますよね。

VBACしたいならって。

そもそも安全性を考えるならVBACをするってだけで、否定的な意見があるのもわかります。

でもその時の私は出産にすごく強い憧れがあって、どうしても諦めきれなかったのです。

 

※ここに書いてある情報は2017年のものですので、現在とは異なる場合があるあります。

弱った母が

現在、耳もろくに聞こえず、目もほとんど見えない母。

コミュニケーションを取るのは大変です。

子どもたちの七五三をいつやるのか気にしていたのでメモ帳に大きく、七五三 来年

と書くと。。。

男の子の袴は黒と白が1番いい。

青とか色のついてるやつなんておちゃらけちゃんちゃんでおかしい。(かなりのディスり)

お相撲さんが着ているような黒と白のやつ。

袴は黒と白のストライプ。

 

熱弁。

 

うーん。私が子どもと選んだらダメか?(笑)

選ぶ楽しみが。。。

 

相変わらず偏った価値観、そしてそれを押し付けがち。

黒以外にしたら文句言われるのだろうか。。。

写真見せることにはなるだろうし。

七五三に嫌なことができてしまった。

(ーー;)

 

まだまだそんなこと言えるくらいなら、大丈夫かな?😅

 

身体は弱っても口は健在である。(^_^;)

毒母エピソード4 婚約破棄

私は一度、婚約破棄を経験している。

婚約をして、指輪を買ってもらい、式場も決めて、親への挨拶はいつしようかと話していた所だった。

今思えば順序がめちゃくちゃだ。

彼から私は兄弟は兄が1人だけいると聞かされていたが、結婚が決まってから急に兄がもう1人いる事を打ち明けられた。

1番上の兄とはウマが合わず、関わりがないため、いないことにしてしまったと。

私はその事が、ずっと嘘をつかれていた事が、すごくショックだった。

結婚が決まる前に教えて欲しかった。

その事で喧嘩してしまって、そのまま別れる事になってしまった。

元彼を忘れたくて、母からのプレッシャーもあって、母から離れたいのもあって、本当にその彼のことを好きだったわけでは無かったのだと思う。

だから、振られてしまって当然だったとは思う。

でもきつかった。

母は私に結婚して欲しくて仕方がなかった。

まだ当時25歳だったが、周りの友達が皆んな結婚が早くてすでに8回結婚式に出ていたほどだった。

母は事あるごとに、

誰々ちゃんも結婚したのよー!あんたはどうすんの?

そうやってプレッシャーをかけてきていたから、結婚する事を伝えた時はすごく喜んでいた。

 

婚約して、舞い上がって周りの人にも言ってしまって、結局破棄になり、情けなくて、悲しくて、ボロボロで、私は母につい、すがりたくなってしまった。

すがったところで、何も癒してくれない人だと知っていたはずだったのに。

 

お母さん、私ね、婚約ダメになっちゃった。

 

どうせあんたが悪いんでしょ。

 

何で何も話してないのに私が悪いって言うの?

 

母親だからわかるのよ。あんたが悪い。

 

私は心が砕けてしまいそうになって、部屋に逃げた。

この人に何を言っても無駄だった。

 

母は私の幸せを望んでいたわけではない。

娘が結婚を迎える母親になりたかっただけ。